間宮兄弟 スペシャル・エディション (初回限定生産) [DVD] - 同じマンションで仲良く暮らす間宮兄弟。兄はビール会社で働き、弟は小学校の校務員をやっている。休日は2人で野球を観たり映画を観たりの毎日。そんな中で女っ気のない生活を変えようと、レンタルDVDショップで働く女の子を自宅のカレーパーティに誘う、というお話。
この映画、最高に響いた。というのも、例えば「リア充」という言葉がある。「リアルが充実しているやつ」の略ということだが、つまり友だちがいっぱいいて、女の子をとっかえひっかえしながら毎日楽しそうに生活している〜等がぼくの「リア充」のイメージだ。一般的に見ればこの「間宮兄弟」は「非リア充」の物語だろう。少しオタクっぽいおっさん2人兄弟がマンションで一緒に暮らしてて、どちらも彼女もいなければ、兄弟以外の友だちも少なそう。休日、スコアをつけながらテレビで野球観戦をする姿なんて「リア充」のイメージに遠く及ばない。
でも、果たしてこの2人自身は自分たちが「リアルが充実していない」と思っているのだろうか。テレビで野球観戦をしているときの真剣な眼差し。2人で映画について語り合っているときの楽しそうな表情。それこそまさに「リアルが充実している」ような顔をしている。
つまり、この映画は「非リア充の物語」では決してなく、「
こういうリア充もある」という物語なのだと僕には思える。
物語のメインはこの2人の恋の物語なのだが、彼らは「女の子を家に誘うことができた」「パーティを楽しんでもらえた」ということに一喜一憂する。一般的に恋の物語というと、告白するとか、相手に彼氏がいたとか、それを奪ってやるだとか、そんでラストにキスしちゃうとかがあるけども、この2人にとってみれば、そんなものは必要ない。「女の子を誘う」が一大イベントなのであって、「2人っきりのデートに断られる」が絶望なのである。
物語のラストはクリスマスに弟の携帯にメールが届くところで終わるのだが、これも一般的な価値基準で言えば「これからの未来を思わせる〜」程度な扱いだろうと思う。しかし、彼らの基準で言えば、「クリスマスに女性からメールが届く」こと自体が最高のハッピーエンドなのだと僕には思えるのだ。
僕個人もどちらかといえば「リア充」側の人間ではない。友だちも多くないし、女の子と付き合った経験もほとんどない。やっぱりそういう部分を省みるを自分に自信がなくしてしまう。ただ間宮兄弟はそういうことを悲観していない。「一般的に」とか「他人と比べて」という枕詞を外して、単純に「自分たちが」楽しいと思えることをやって、そして「自分たちが」楽しかったから思い切り笑う。そんな彼らを観た僕には、彼らこそ本当の意味で「リアルが充実している」と思えたのだ。
世の中には色々な人間がいるが、人間は「自分の物語」から出ることはできない。モテないやつが急に女の子をとっかえひっかえしたり、弱いやつが急に世界を救うなんてことはほとんどない。それならば自分にとっての成功で喜び、自分にとっての失敗にだけ悲しめばいいのかもしれない。「他人の物語」に脇役としてわざわざ登場して、悲しむ必要なんてなくて、「自分の物語」の主役として生きていくことが、人生を本当の意味で楽しむコツなのかもしれない。そんなことを映画を観終わって思わせてくれた、間宮兄弟に感謝。